山地災害に関する国際会議に出席して
キルギスタンの首都ビシュケクで開催された上記の会議には、17カ国の研究者が集まった。一番多いのは、開催国のキルギスタンで41名、次がカザフスタン・ロシア・チェコでそれぞれ6名、ウズベキスタンとタジキスタンが5名ずつ、ドイツが3名、インド・中国・米国・英国・日本がそれぞれ2名ずつ、後は、オーストリア、カナダ、ネパール、ベルギー、トルコが各1名ずつで、約90名の参加者である。会議では、気候変動に関わる問題も取り上げられ、温暖化に伴って、氷河の融解が進み山地災害が増加しているという興味ある話もあった。会議の翌日と翌々日には日帰りの見学ツアーがあった。はじめの日はベル・ゴルコという所にある地すべりダムを見に行った。あいにくの小雨の天候であったが、地すべり活動に伴ってできた湖を見ることができた。谷間を埋めた膨大な量の土塊は透水性がいいためか、地すべりダムの末端からは大量の地下水が湧出していた。霧のため山全体を見ることができないので、説明者の話をイメージしながらの見学会だった。その後は、アラ・アチャという風光明媚は渓谷に入り、霧の中ロッジでシシカバブーのバーベキューとビールで歓談をした。ここではもう紅葉が始まっていた。翌日は、ホルフトという場所にある巨大地すべりによって生じたダム湖を見に行った。快晴の素晴らしい天候の中、初秋の山渓美を楽しみながら、5時間で標高差800mを登って、標高2,800mにある紺碧に輝く地すべりダムに到着した。ここの地すべりはかなり地質構造に規制されたもので、滑落した後には楔状の地形が雪を被って残されていた。この地すべりが何時頃起きたものであるかは不明という。ここでの話、ロシアの研究者専門は、以前ここで高密度電気探査や弾性波探査を行い、地すべりのメカニズムや地すべり土塊がどの方向から来たかを色々議論したようです。でもよく判らなかったという。私と汪 発武さんは左岸に地質構造に規制された明白な滑落地形が残っているので、左岸から高速滑落し(がんせきの破壊程度から見て、多分原因は地震))、右岸の急斜面に乗り上げた結果、昔は氷河があったU字谷が地すべり土塊によって閉鎖され、地すべりダムができたと、説明した。弾性波屋さんであるロシア人は、谷を埋めた土塊は左岸に急傾斜からもたらされたものだという。われわれが見た限りでは、右岸は受け盤状であり、岩屑雪崩による堆積は認められるものの、その末端は左岸から活動してきた地すべり土塊で覆われていることは明らかなので、左岸の地すべり土塊によって谷が閉鎖された、といくら説明しても、地形的・地質的なことが理解できないようで、埒があかなかった。地すべりや山崩れの現象を十分に現地観察によって理解できる研究者が、物理探査を行って、その結果を解釈するのはいいが、地形・地質的な理解力を全く持たない人が物理探査を行ってもその結果に対する理解度はあくまでも数字でしかなくなり、それを地質的解釈に置換できない虞があることを、身にしみて感じた次第。


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