第3日目:北川県地すべり
8:00出発。車の中での話。北川県に住むチャン族の人たちは、非常に危険な場所に町の中心を置いている。これを危惧して、これまでに3人の県知事が、町の移設を中央政府に申請してきたが、全て却下されてきていたという。今回の大災害に遭遇してやっと町の移設が行われると言うが、何処に移設されるのかが問題。現在の中国における少数民族の立場を象徴した話。
小一時間ほど走って、北川県入り口に到着。チャン(羌)族の象徴である雄牛の印を付けた鳥居のようなものがある。標高=590m。
地震断層のあるところに到着。標高=690m。気温 14.1℃。初めて汪さんがここに来た時は中に入れたと言うが、今は、ここに厳重な門ができていた。軍・警察など関係以外は入れないようになっている。我々は横の坂道を歩いてのぼり、巨大地すべりが見える場所まで行くことにした。道端には地震前と直後および9月24日に発生した土石流の後の写真や、ここの地すべりの写真集(大部分が救助の様子や国家主席と首相の写真)を売っている。流石中国人という感じ。地すべりがよく見える場所から現地を見ると、やはりすごい!右側からは泥岩の地すべり(北川県庁王家岩地すべり)が発生しており、長距離移動した土塊によって県の中心部が全壊している。末端部には土塊移動に伴う空気圧縮によって傾いたと思われる5階建てのビルや土塊移動によって押しつぶされた住宅の残骸が山のように貯まっている。ここには2000人を超える人が未だに埋まっている。この地すべりの移動距離を見るとここの地下水はかなり浅いところにあったことが推測される。一方、左側の地すべり(景家山地すべり、地すべりというより山体崩落と言った感じ)は石灰岩で構成されている山体から発生したもので、移動距離は短い。しかしその破壊力は凄まじく、高層ビルがなぎ倒されている。我々が見学した場所には線香が供えられていることから、関係者が埋没者の冥福を祈りに来ているものと思われる。
厳重な門の直ぐ側にある地震断層は3mほど上昇したようで、道路と側近にある3階建ての家が持ち上げられている。この家の家財道具は未だに道端に高く積まれたままとなっている。各部屋の壁には典型的な剪断亀裂がバッテン状に入っているのを見ることができた。家な煉瓦造りで、鉄筋などは入っていないように見えた。門の脇には警察官が暇そうに座って雑談を交わしている。ここにも写真や写真集を売る人がいた。1時間ほど見学して、 小雨の中出発。40分ほどで、 石崖村に到着。標高=640m。土石流末端の水と蘇保川の水を採取。蘇保川下流には大きな地震地すべりがある。石崖村から蘇保川を渡り、地震断層を見に行く。川には当然橋はない。川は3本に分かれて流れており、中の川には一枚板の橋があった。橋のないところは、我々でも渡れるような石並びのあるところを探して、どうにか対岸に渡ることができた。対岸に着くと川原の真ん中に新しい家を煉瓦で作っていた。何と言うこと!!恐ろしい風景。一度増水すればたちまち流されてしまうと思われる。驚くことにはそのすぐ下流に変電用の施設を作っているではないか!何を考えているのかと疑いたい。新たな災害の種を撒いているようなものだ。
暫く土石流後を歩いていくと、地震断層があった。玉蜀黍畑が3mほど上昇している。断層の上盤には人家があるが、殆ど壊れることなく建っている。断層沿いに歩いていくと、川原にコンクリート製の境界線があり、それが地震によって上下に1m弱、右に2mほどずれているのを見ることができた。地震断層観察後、元来た道を戻る。恐ろしい川渡りも無事通過。 3日間にわたって汶川地震跡を踏査したが、復旧はまだまだという感じがしたことと、今後山腹斜面に残っている不安定土砂による土砂災害は何時まで続くのか、土砂流出による河床上昇に対してどう対処するのか。山地地盤災害に対する問題は山積されている。我々自然災害研究者が関与できる分野はいくらでもある。協力要請があれば、即時に対応できる体制を整えておく必要があると思う。


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